【読者寄稿】宮ケ瀬湖周辺で遊んだぞ!


読者記者から、宮ケ瀬湖周辺でのドライブ・遊びについての寄稿が届きました。
ありがとうございました。

— 以下 —

 宮ケ瀬湖周辺で遊んだぞ!

 運転免許を取得したきっかけで、以前から注目していた宮ヶ瀬湖周辺にドライブしてきました。

 宮ヶ瀬湖周辺は神奈川県相模原(さがみはら)市からのアクセスが良く、初心者ドライバーにはもってこいの場所です。相模原から車で、なんと1時間もかからずに自然に囲まれたスポットに行くことができました。

 スタート地点として選んだのは「丹沢あんぱん」で有名な「オギノパン」の工場です。こちらは付近の学校給食のパンを作っているパン工場です。直売店があるということで、ぜひ食べてみたかったのです。工場内には見学コースがあるとのことでしたが迷わず直売店へ向かいました。

 なんと、学校の机にパンが乗っていました。まるで教室内か学校の売店にいるかのように錯覚して、ふと懐かしさを感じました。憧れの丹沢あんぱんを購入し、次のスポットへ向かいます。

 そこからすぐにある県立あいかわ公園の駐車場へ車を停めて、ロードトレイン「愛ちゃん号」に乗り宮ヶ瀬ダムへ。愛ちゃん号はパークセンターからダムの下まで運行しているトレイン型の乗り物です。宮ヶ瀬ダムは日本一観光客が多いといわれているだけあって、その日もたくさんの人が訪れていました。

 エレベーターを使ってダムの上まで登ってみたのですが、なんだかお腹の辺りがいっぺんに引き締まってしまうような気がする高さでした。その日は晴天だったので、宮ヶ瀬湖が綺麗に見えました。正に絶景と言えるでしょう。

 絶景と涼しさと、先ほど買った丹沢あんぱんをお昼に食べ、宮ケ瀬ダムを堪能。あいかわ公園に引き返して再び車で向かったのは服部牧場です。こちらは神奈川県一大きい牧場で、たくさんの動物と身近に触れ合えることで多くの人が訪れています。動物好きな人には本当におすすめです。

 犬や猫が迎えてくれて、牛はもちろんのこと、ヤギやヒツジ、ブタ、ロバなどがいました。特に小さなブタが可愛かったです。動物と触れ合うことの他にも目的がありました。こちらでバーベキューをしようと事前に予約をしていたのです。

 牧場で用意してもらった牛肉と共に、おいしいと評判の、オリジナルハムとソーセージ工房「メッツゲライ・ハットリ」で買ったハムやソーセージを食べました。手ぶらで来て、こんなに豪華な材料でバーベキューが楽しめるのはありがたいです。デザートには、やはり牧場内にあるアイスクリーム工房「カサリンガ」でジェラートを食べました。絞りたての生乳で生産したジェラートを提供しているということで、さっぱりしているけどコクがあるジェラートはかなりおすすめです。

 宮ヶ瀬湖周辺、本当に楽しいです。たくさん遊んでしまいました。

— 以上 —

読者記者様、楽しい記事ありがとうございます。

オギノパン
住所 相模原市緑区長竹2841
TEL 042-780-8121
FAX 042-780-8122
営業時間 工場併設店舗の営業時間 AM9:30~PM6:30 年中無休

県立あいかわ公園 アクセス
住所 神奈川県愛甲郡愛川町半原5423 TEL:046-281-3646
利用時間 
   8:30~18:00(4月~9月)
   8:30~17:00(10月~翌年3月)
休業日 12月29日~1月3日
駐車場利用料金 駐車場利用料金は前金制となります。
   普通車:500円 大型・中型:1,500円 二輪車:100円

服部牧場 アクセス
住所 神奈川県愛甲郡愛川町半原6087
TEL 046-281-0917
FAX 046-281-2205

宮ケ瀬周辺は、
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 1、車で移動。

 2、ファミリー、カップルで1日。

 3、コストパフォーマンス良し!
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で楽しく遊ベますね。

 また、服部牧場といえば、2代目の服部誠さん。

 相原高校で華々しい活躍をされました服部誠さんは、その後、東京農大に進学され、箱根駅伝第50回(1974年)大会に出場すると、1位から遅れること1分53秒13位でたすきを受け、前を走る全員を抜き去り、区間2位に3分以上の差をつける快走。東農大往路優勝、花の2区伝説の12人抜き、と今でも話題に上がっています。

伝説の「12人抜き」…服部 誠

 花の2区で、その後30年近く破られないことになる「12人抜き」を成し遂げたのが、東農大の服部誠(61)だ。

 第50回(1974年)大会。3年生の服部は、1位と1分53秒差の13位でたすきを受けた。神奈川・相原高時代に高校総体5000メートルを制した服部は、横浜市出身。勝手知ったる地元を飛ばすと、全員を抜き去った。区間記録に4秒及ばなかったが、区間2位に3分以上の差をつける快走で、第2回大会から出場する伝統校を初の往路優勝に導いた。

 そして、翌年の最後の2区では1時間13分21秒の区間新で有終の美を飾った。

 東農大は、家業の牧場を継ぐために進んだ。卒業翌年の76年モントリオール五輪まで走り、馬たちの世話をする。それが、進学時の夢だった。そして、大学3年時の別府大分毎日マラソンで2時間13分40秒の初マラソン日本最高。卒業後の75年福岡国際は2時間13分13秒で、6位の宗猛に次ぐ日本人2位の8位となった。

 しかし、直後の76年1月、日本陸連のニュージーランド合宿が歩みを惑わす。宗茂、猛兄弟らが400メートルを100本、5000メートルを10本という猛練習に挑むのを見て、自身も練習量を増やした。しかし、76年4月、五輪最終選考会の毎日マラソンで惨敗。完全なオーバートレーニングだった。

 服部は、潔く引退した。

 「やめるには、いい負け方だった。あと4年続けてもモスクワ五輪はなかったしね」。現在、神奈川県愛川町で「服部牧場」を営む服部は、「2区を走る選手は常に上の大会を見てほしい。指導者は研究を忘れずに」と話す。伝説のエースは、緑深い農場から、今も箱根を見守っている。
2013年10月25日 読売新聞

読者記者様、ありがとうございました。

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